きらきらとした良い笑顔で野分はこう言った。






     6月4日






「は?今なんて」
「だから明日病院で歯磨きの講習をするので、練習に付き合ってください」


ちょっと待ってくれ。いつの間にお前は歯科医になったんだ。俺の記憶では小児科医だったはずなんだが。
っていうか、講習なら教えるだけじゃないのか。
あぁ、もうツッコミたいことが一杯だ。

「野分」
「はい、なんですかヒロさん」
「小児科医だったよな」
「はい。急遽助っ人頼まれちゃって」

嘘だ。絶対に嘘だ。
何で分かるかだと?顔見りゃわかる。なんだそのいい笑顔は。

「講習ってことは俺に歯の磨き方教えるってことか」
「それだけじゃ分かりにくいでしょうし、俺がヒロさんの歯、磨いてあげます」

そら見ろ、やっぱり嘘だ。講習で一人一人磨くわけないだろ。

「本当は?」
「歯磨きにかこつけて、ヒロさんに膝枕したくて」

素直に言えば許されるとでも思ったか。
それとも開き直ったか。まぁ、どちらでも構わないけど。
むしろ「膝枕してください」と要求されないだけ良しとするべきなのかもしれない。
べ、別にしてほしいと言うのならしたいわけではないけれど……。

「ダメ、ですか?」
「ま、まぁ練習ならしょうがねぇな」
「じゃあ、俺の膝に頭おいて下さい。えっと、俺の体のほうに頭を向ける感じで」

ゴソゴソと袋を漁る野分に、改めて計画的犯行だったなと思う。
野分の手には市販のものより少し小さめの歯ブラシが握られていた。
言われた通りに野分の膝に頭を乗せる。

「はい、じゃあ口を大きく開けてください」

その言い方がまるで子どもに言っているような言い方だったので少し引っかかったが、
まぁ医者の言うことには従わなくてはいけないだろう。
しかし、今更ながら少し恥ずかしい。
口の中なんか他人に見せたりしないし、自由に体を動かせないのもキツい。
シャカシャカと動かされる歯ブラシもいつもの動きと違って気持悪い。
しかも膝の高さが合わないのか首も痛くなってきた。
どうせ数分だし、大丈夫だと思ったのが誤りだったのかもしれない。
自分の中で妙な違和感と格闘しているうちに口が閉じかけていたらしく、
野分が、ヒロさん、もっと大きく開けてください。と言ってきた。
仕方なくもう一度開けると今度は簡単に閉まらないように口に手を添えられる。

「ヒロさんの歯並び綺麗ですね」

あぁ、やめてくれ。しみじみそう言われて本気で泣きそうなくらい恥ずかしい。
確かにコイツは医者ではあるけれど、俺にとっては医者である前に恋人だ。
そんな奴に冷静に自分の体について言われるなんて、どんな羞恥プレイだ。
しかも口は塞がれているから言い返すことも出来ない。あぁもう、本当にサイアクだ。
せめてもと口に添えられていた手を抓ってやれば、苦しかったですか?という見当違いな返答。
いや、こいつは分かっているに違いない。分かっててやってるんだ。

「歯も綺麗だし、舌も綺麗ですね」

いい加減にしろと大声で怒鳴ってやりたい。
寧ろ体を起こして一発ぶん殴ってやりたい。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、終わったので口ゆすいでくださいと終了を告げる声がする。
急いで洗面台に行き口をゆすぐ。すっきりした口内とは裏腹に妙にわだかまりの残る俺の心をどうしてくれる。
まだあちこちムズ痒くてたまらない。

「どうでした」

にこやかに感想を求める野分に一瞬殺意を覚えたが、すぐに気が抜ける。
コイツには何を言っても無駄なのだ。懲りる、ってことと縁を切っているに違いない。
まぁ、とりあえずこれだけは言える。

「お前が小児科医で本当に良かったと思う」

これが内科医だの外科医だのだったら俺は本気で泣いてしまいそうだ。
二十代も終わりに近い俺がまず世話になることのない小児科医で本当によかったよ。


―ヒロさん知らないんですか?医者は一通り全部教わってるので、どんな診療科も名乗れますよ。
―あぁ、悪魔の声が聞こえた気がするが、勘違いであってくれ。




―――――あとがき―――――
さて、実はこの話半年以上前から計画してました。
絶対この日は外せないね、と楽しみにしてました。
でもいざその日になると、ちょ早いよ6月、まだ出来てないよ。ってね。
急いで書き上げたので色々間違っているトコがあるかも。
詰めの甘さが文章のそこかしこ、描写に出てる気がします。
あぁ、お恥ずかしいかぎりです。

まったく関係ないのですが、4月に書いた連作のあとがき書いてなかった……。
まぁ、また気が向いたときに。


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